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すすきの祭りの歴史

すすきの祭りの歴史
昭和40年(1965年)8月、第1回の 薄野祭(現すすきの祭り)が開催された。実際には、昭和26年7月に最初の薄野祭が行われたが、3年で立ち消えになった。 昭和40年の復活は第4回目となるが、なぜか第1回とし、以降継承して第49回を迎える。昭和40年春、札幌観光協会が「従来の夏祭りは、大通りの広場で盆踊りや歌謡コンクールを行う程度で空疎だ。いっそ、狸小路の狸祭り、定山渓の河童祭り、それに薄野祭りを加え、連合的な規模の大サマーフェスティバルたらしめたら」とのアイディアを出し、この発想から復活した。 この祭りでは、「すすきの小唄」「すすきの音頭」が発表され、ミス薄野コンテスト、のど自慢大会、ビール早飲み大会などが行われた。 祭りは、実行委員会を結成し会長職も持ち回りとしていたが、第12回の後「それでは大変だ」との声が出た。翌53年2月頃、薄野ビルヂング協会、社交飲食環境協同組合、豊水連合町内会などの幹部が参集、「すすきの観光協会」を設立し、祭りを同協会の主催事業とすることを決め、同年6月協会がスタートした。
花魁道中
初日に行われるメインイベント。第20回(昭和59年)に、記念行事として東京浅草から花魁役等9名を招き「花魁道中」を披露したところ予想以上の人気となり、翌年(昭和60年)から恒例の出し物となった。花魁は公募により2名が選ばれ「夢千代大夫」「佳津乃大夫」と命名された。
すすきの屋台
ワゴンセールの名前でスタート。すすきの観光協会に所属する飲食店の会員が、歩行者天国となった会場内に100軒もの屋台を設置。地元や観光に訪れた方をおもてなししている。
連合太鼓
「ビルの谷間で千人位が太鼓を叩いたら、すごい迫力になるのでは…」との発想から、昭和60年「北海祭り太鼓セッション」が登場。翌61年にはさらに規模を拡大、全道の太鼓チームが勢ぞろいした。その後変遷はあったが、初日「花魁道中」の露払いとして会場を盛り上げる。
すすきの囃子
すすきの観光協会で、唯一伝統芸能を守り続けている「響乃会」ができて22年、様々な神社に奉納演奏を披露している。今では、獅子舞と伴に毎週お稽古を重ね広く演奏活動を行う。
連合神輿渡御
3日目、夏祭りでにぎわう市内を練り歩いていた札幌の全神輿がすすきのの入り口に集結、祭り会場に突入してくる。その数7基、担ぎ手は千人を超える。すすきのコンコン神輿は重量1.5トン、担ぎ手は100人、その周りには全道から集まった若者が入れ替わりに備えている。宮入を繰り返す神輿、飛び散る汗、応援の声、真夏の祭りにふさわしい光景が繰り広げられる。
すすきのナイトフィーバー
祭りの最後を飾るのは、ステージ前での往年のディスコを彷彿とさせるイベント。祭りに来られた観客の皆様、実行委員会のメンバー、一体となって踊り、祭りの最後を盛り上げる。

※参考文献 さっぽろ文庫87 すすきの

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